試験終了ですー
小児科、血液内科、皮膚科、産婦人科、免疫リウマチ科の試験が終了した、、、今回は流石に試験前から「ちょっとヤバいんじゃないか?」とマジでビビってた。何しろ白血球のCDなんとかやインターロイキンの番号 分子標的薬の標的因子やら似たものばかりでキツイキツイ、、、ゴロを作るのだけど作った語呂が出てこない笑
しかも試験時間がとてつもなく足りなくなり
2時間で150問、え?1分使えないじゃん、、
その割にクソ細かい知識を問いやがる。
予想通りというか後半時間がなくなり途中ペースアップしたものの「残り10分です」
と言われた時に解答し終えた問題は120問くらい、、まだ30問もある、、、、
本当に体の血が引いた、、
時間が足りないよー!って心の叫びは過去のセンター試験を思い出す。トラウマだ、、
歯科医師国家試験もかなり大変だったけどあのセンター試験の英語と数学に比べれば追い込まれた感じが無かったなぁ。
久々にあの感覚を思い出した。。
試験内容は皮膚科は安定のイヤラシさだった。
うん、予想通り。
小児科が意外にもねちっこい引っ掛け問題を出してきてて中盤少し点数を落とした
150問中102問正解 得点率68%
あ、センターなら足切りレベルだ、、笑
1週間しかやらなかった割によくとれたもんだ
そういえば全国の医学部の試験て他の大学の問題ってどんなの出てるのかな〜と、そこに興味がある。
ウチの皮膚科の問題を他大医学部の学生に解いてもらいたい、、、、
とはいえまぁ医者になる上で必要な知識だとは思いますけどね、、、流石に臨床科目なんで、、、。
にしてもレジュメもとっちらかってるし、教える側よりもはや範囲が膨大で何をどう伝えるか混乱しちゃってるね、、てくらい
自分は様々なメディアで講義を行う時絶対に「パワポをまんま載せてレジュメにすることはしない」
これをすると経験上講義は退屈になる!
またこの手法を使う輩の講義は概して下手くそだ。
予備校講師仲間と話してる時よく話題に出た。
昨日結果が出て見事合格した。
何気に34人も落ちてたのには驚いた。
いやーお前ら勉強しろよ、、、仕事もしてねーんだから
とりあえず無事に夏休み、お仕事頑張ります。
本日は午前中オペだー、気合い入れてやります。このオペの出来により今後の治療方針が大きく変わる。
歯科開業医になった経緯①
歯科医となり研修医を終えた時身の振り方を考えた、ほとんどの人間は母校の院生や専攻生(学位は取れないが臨床を学べる)となっていった。
自分は歯科麻酔の分野のオーベンが優しくて楽しかったこともあり研修医の時から麻酔科の外来にちょいちょい顔を出していた。
医局にどんどん知り合いができれば行きやすいし色々と仕事も教えてもらえるからなんか他の研修医連中よりも一歩リードしてる感で優越感に浸っていたのを覚えてる。若いなぁ
しかし自分は院生にはならなかった。
院生は試験があり、うちの出身なら何も書かなくても1発合格(ぶっちゃけ院試なんて通過儀礼に過ぎない)だから出願すれば受かる
しかしそうしなかった
理由はその数ヶ月前に遡る、外病院で知り合った大先輩のI先生という方がいた。
某私立医学部で麻酔科の准教授されてると聞いた時スゲー准教授!しかも医学部で!
と感動したのを覚えている。
「I先生は今度うちの歯科麻酔科の教授選に出るんだよ」
と先輩に言われた。
すげー、この人教授になるんかい!と思い憧れの目で眺めていた。
一旦その情報が耳に入るとその先生の見方が変わった。物腰柔らかく、益々憧れを抱いた。
母校の後輩でもある自分に色々な話をしてくれた。
「最近うちの大学どうなの?先生は今後どうするの?」
とかよくお話ししたのを覚えている。
「はい、自分も全身管理を学びたく歯科麻酔に行こうかなと、、、あ、矯正科も考えてますが、、、」
などと答えていた。
そんなこんなでちょうど研修医を終える頃教授選が行われた。
結果
I先生はなれなかった、、、研究実績や医学部の麻酔科で准教授やってるという実績からみたら誰もが勝てると思っていたのに、、。
やはり教授選というのは政治家(色々根回しができるDr.の隠語)でなければダメだと言ってるのを聞いた。
よくわからないうちの大学出身の別のOBのF先生という人がなったらしい。なんでもI先生の更に先輩だったとのことだった。
I先生が教授選に敗れたことで自分はサッサと院生になる事に興味を失った。そんなわけでどうするかなぁ、、、と悩んでるうちに専攻生の出願締め切りが近づいた
うーん、専攻生かぁ
専攻生は学費を払い専門医をとったり認定医をとったりできるシステム
しかし学費かかる
週何日か大学に行かなくてはならない
もちろん束縛を嫌う自分は週3日くらいならいいかなと思っていたけどどうやら結構行かなくてはならないらしい、いろんな科の医局の情報を聞いたが殆ど週4か5じゃないとダメ!
と、おいおいそんなに大学いたら稼げないじゃないか、、、
タダでさえ安い研修医の給与なのに、、
というわけで自分は進路を決めきれずにやがて研修医を終えた、、、
進路を決めていないのは自分だけだった
今思うとスゲー度胸だな、、、と思ったけど
その時自分は「副業」をしててそっちで稼ごうと思っていたからあまり歯科医一本でやる気はなかったというのが本音
I先生が教授になってたら恐らく母校の歯科麻酔で教授あたり目指していたのだろう、、、
今思うと1つ目の分岐点だったなぁ
続く
歯医者兼医者の卵によるブログ
あくまで個人の日記として頭の中を整理しようとブログなるものを書いて見ることにした。
昨日大学の臨床講義2の試験が終わり自己採点してみた。
予想通りなんとかクリアー、7割を超えて居たから良しとしよう。
試験が終わった時に会話した友人のD君は「めちゃくちゃむずくなかったですか?」と聞いてきたが、彼が難しいということは相当ヤバかったのか?とか焦った。
蓋を開ければ結局、彼は自己採点したら8割を超えてたらしい、ラインで伝えてきた。
「さすがやなぁ、おじちゃんも勉強せねば、、、」
と少しナイーブになりかけたが、とりあえず4.5月の怒涛の仕事をしながら、また家庭の事をやりながら試験を通した自分を褒めてやろう。
そう、私は普通に日々仕事をしながら医学部に通うという稀な存在だ。
(ンな奴居るわけないわな)
自分が相当仕事をしていることは教授連中にも知られているようで、、
教務委員の一番お偉いさんの教授様(仲間内で悪代官と呼んでいる)に
「君は開業したらしいね、どうなの?」
と聞かれた事もあった。どんだけ個人情報流出しとるねん。
恐らく世の医学部生の中で現時点で最も稼いでいる(マトモな仕事で)のは自分だろうという自負はある。
あ、昔いた大学の同級生で歌舞伎町でホストやってた男がいたけど奴は相当稼いでいたらしい、年収にして何千万、、、二十歳そこそこの奴の稼ぐ金ではないな、、、
幹部にまで上り詰め結局いつの間にか大学を退学していた。風の噂で私立の医学部に入り直したと聞いた。
そもそもは医学部に行くための金を稼いでいたのだろう。彼は東京医科大学に行ったらしいけど、歌舞伎町に近い医学部に行かんでもええやろ笑
そのうちイケメン医師、元ホストとかでマスコミ出てくるのかなぁ、、その当時貢いでいた女に刺されそう、、
とりあえず退学してしまった彼は学業との両立は無理だったわけだ、その点ではワシの勝ち(笑)
人生を転落していた過去の自分から考えると今の状況は上手くいきすぎている
なんか落とし穴あるんじゃねーかと思いつつビビりながら生活してます。
今日は仕事もオフ、大学はサボる
という事でプライベートを楽しもう